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天声人語

【天声人語】2005年10月22日(土曜日)付

 「十月の明るいある朝、はれやかな朝日を浴びて、わたしはヨコハマを出発する」。フランスの海軍軍人で、明治期に日本を訪れたピエール・ロチの『秋の日本』(角川文庫)の一節だ。この見聞録には、彼の小さな発見が詰まっている。

 にぎやかな東海道から田園に入り、小さな女の子たちが幼いきょうだいを背負っているのを見る。背中にひもでぴったりと結び付けている様に、ロチの従卒が言う。「頭の二つある子供たち」

 ある家の前でロチは突然「大きな憤懣(ふんまん)を覚える」。「ぢいさんとばあさんが、てっきり食べるためだろう小さな二人の女の子を煮ているのだ!」。すぐ入浴と分かったが、桶(おけ)の下には火がかっかと燃えていたと記す。

 ロチは「お菊さん」でも知られる。大正の終わり近く、その死を聞いた芥川龍之介は追悼しつつ書いた。「ロティは偉い作家ではない。同時代の作家と比べたところが、余り背の高い方ではなささうである」(『玄鶴山房・河童』新潮文庫)。

 芥川は、土砂降りの往来に似た人生をたどる人にとって、まず必要なのは雨をしのぐ合羽(かっぱ)だという。「新しい人生の見方」のような合羽を与えるのが「偉い芸術家」だが、ロチは「新しい感覚描写や抒情(じょじょう)詩」といった往来の「提灯(ちょうちん)」を与えた、と。

 ロチは、あの「ぢいさんばあさんの奇怪な料理」の家を去りながら記した。「この小さな一軒家、この料理、わたしたちが今後二度とお目にかかることのないこの正直な人人のにこにこ顔……」。ロチの小さな提灯が、時の肖像を未来に伝え続けている。

【天声人語】2005年10月23日(日曜日)付

 100年前、オーストリアに車道楽の富豪がいた。「愛される車には女性の名がふさわしい」という信念の持ち主で、まとめて36台注文する見返りに、今後すべての車に愛娘(まなむすめ)の名をつけるよう製造元に迫った。メルセデスという11歳の少女である。そのまま商標登録された。

 日本の先駆者は車名に頓着しなかった。国産ガソリン車の第1号は明治末、東京の自転車商吉田真太郎氏が作った。車名は特につけなかったが、ガタクリ、ガタクリ騒音を立てて走ることから「タクリー」と呼ばれた。

 戦前の自動車界に詳しい佐々木烈氏(76)は「タクリーというあだ名には当時の国産車へのさげすみが感じられる」と話す。舶来信仰の時代でフォードなど輸入車に太刀打ちできない。10台ほど製造されただけで、タクリーは自動車史から消えた。
 戦後、大衆車の時代が到来すると、メーカーは車名を競い始める。当初、トヨタではカローラ(花冠)など冠にちなむ名が多かった。ホンダ車では音楽に由来する名が特徴で、日産は小説「小公子」の主人公セドリックなど名作路線を歩む。\

 最近の車名選びはかなりの難事だ。語感がよく、商標登録されておらず、輸出先の国々の言語でも不快感を与えない。すべての条件を満たす言葉を探して、何カ月も費やす。

 東京モーターショーの会場を歩いた。エッセ、ピボなど耳新しい名もあれば、1世紀前と同じ少女メルセデスの名もある。この中に100年先まで永らえる車名があるのか。きらびやかな会場の隅で、車社会の先行きに思いをめぐらせた。

【天声人語】2005年10月24日(月曜日)付

 ヘビー級の世界王者に挑戦するジム・ブラドックは、戦う目的を記者団に問われ、「ミルク」と答えた。実在のボクサーを描いた米国映画「シンデレラマン」の印象的な場面である。

 彼には妻と3人の幼い子がいる。妻はミルクを水で薄めて増やした。ブラドックは「夢でステーキを食べた」と言って、自分の食べものを子どもに与えた。大恐慌とそれに続く長い不況の時代の物語である。

 ニューヨーク株式市場で株が大暴落したのは、1929年10月24日、76年前のきょうのことだ。それをきっかけに大恐慌が始まった。企業や銀行が倒産し、失業者が街にあふれた。多くの農民が土地を手放した。大恐慌は欧州や日本にも及んだ。

 ブラドックも、リングで稼いだ財産を失った。そのうえ、手を骨折し、試合に勝てない。港の荷役の仕事にもあぶれる。光熱費を払えなくなり、妻は3人の子を親類に預けた。子どもを手放すのは、人生をあきらめてしまうことだ。ブラドックはボクシング界の幹部らに頭を下げ、光熱費を恵んでもらう。

 「食べるのに必死の時代だったから、家族や地域で結束した面がある」と語るのは、アメリカ経済史専攻の秋元英一・千葉大教授だ。秋元教授は「1930年代の米国は意外に活気のある時代だった。どん底に追い込まれたので、社会主義を主張しようとも、実験的なことに挑もうとも許された」と言う。

 ブラドックは勝ち目の乏しい試合に挑んだ。奇跡的に復活して勝ち進み、ついに頂点に迫る——。株の大暴落から6年、米国の苦闘はなおも続いていた。

【天声人語】2005年10月25日(火曜日)付

 ニューヨークの国連本部の総会議場に行ったのは3年余り前のことだ。9・11の同時多発テロから半年後のニューヨークを取材に行き、テロで崩された巨塔の跡を見た後だった。

 総会は開かれていなかったが、がらんとした議場の隅にしばらくたたずんだ。この空間は、いわば米国の中にあって米国ではない。各国が座を占める「もう一つの世界」が、息を潜めて波乱に身構えているようだった。

 その後のイラク戦争で、国連は大きな試練を受けた。国連の創設を主導したのは、ルーズベルト大統領の率いる米国だった。その国が、大量破壊兵器の脅威を掲げて単独行動主義に走り、国連と世界を引きずり回した。

 最上敏樹・国際基督教大教授は、近著『国連とアメリカ』(岩波新書)で「しっぽが犬を振り回す」状態と述べた。最上さんは、第2代事務総長ダグ・ハマーショルドの言葉を引く。「私たちの仕事が平和のための戦いであるなどと言うのは大げさすぎます。しかしこの仕事は、分裂と暴力の洪水をくい止めるためのダムを建設する仕事ではあります」

 国連の事務職員に向けたこのスピーチの直後、ハマーショルドは紛争地に向かう途上で殉職した。最上さんは「いわば国連は、人類がその喪失の淵で踏みとどまるために作られたのだと思う」と記す。

 国連は24日に創設60周年を迎えた。本部ビルは老朽化が進み、先日は天井の雨漏りで総会議場が使えなくなった。建物もさることながら、喪失の淵で踏みとどまるための仕組みも「築60年」を機にしっかり点検しておきたい。

【天声人語】2005年10月26日(水曜日)付

 戦前、日本が植民地支配していた時代に、韓国南端の島・小鹿島(ソロクト)と台湾にハンセン病の療養所が造られた。この二つの施設に収容されていた人たちが、国の補償を求めてそれぞれ起こした裁判で、東京地裁の二つの法廷は昨日、まったく逆の結論を出した。台湾の入所者の訴えを認めたが、韓国の人たちの訴えは認めなかった。

 判決は、同じ103号法廷で、午前10時と10時半から言い渡された。一人一人が受けた差別と苦しみは同じものだったはずだが、一方は敗れて涙を浮かべ、一方は勝って泣いたという。

 裁判官は独立しているのだから、同じような訴訟でも判断が異なることは常にある。それはそうなのだが、同じ体験を強いられた人たちに続けて示された判決の落差の大きさには、やりきれない思いがする。原告の平均年齢は82歳になるという。

 二つの判決はともに、国が補償する対象が、法律や国会の審議ではっきりとしていなかったことについて触れていた。そこから導く結論が分かれたが、救済へ向けて、国会と行政の速やかな動きを、ともに促しているかのようにも見える。

 元ハンセン病患者の詩人・塔和子さんに「いのち」という詩がある。「……笑い泣き/しなやかに飛びはね/すいっと立ち/どんな精巧な細工師の手になるものより/美しい/いのち/この微妙に美しくもろいもの/私も他者も/この神秘な/命の圏内にあり/そこからはみ出ると/忽ち/物体」(『塔和子全詩集』編集工房ノア)。

 美しく、そしてもろい、ひとつひとつの命に、違いは無い。

【天声人語】2005年10月27日(木曜日)付

 妻のコレッタが叫んだ。「マーティン、マーティン、早く来て!」。うれしそうに、バスを指さす。「あなた、空(から)よ!」。米アラバマ州モントゴメリーで、市バスに対するボイコット運動が始まった日の朝だった(『マーティン・ルーサー・キング自伝』日本基督教団出版局)。

 その4日前の1955年12月1日、バスに乗っていたひとりの黒\\人女性が逮捕された。バスには白人専用の席があった。女性は、もちろん専用席ではなく、その後ろの席に座っていた。白人たちが乗り込んでくると運\\転手が席を譲るように告げた。それは当時の差別的な習わしだった。女性は「動くまい」と心を決めて座り続けた。運転手が警察を呼んだ。\\r

 キング牧師たちは、抗議のためのボイコットを黒人仲間に提起する。日ごろバスが頼りの仲間がどれだけ同調するか心配だったが、バスは皆空っぽの状態で走り、キング牧師を勇気づけた。連邦最高裁は翌年、この差別に違憲判決を出した。\

 「公民権運動の母」と呼ばれたローザ・パークスさんが92歳で亡くなった。バスの席から動こうとしなかった時の思いをこう記す。「私は白人のいいなりになることに疲れていたのです」(『黒人の誇り・人間の誇り』サイマル出版会)。

 キング牧師は、パークスさんに贈った自著「自由への大いなる歩み」の扉に書いた。「あなたが独創的に証言してくれたこと、それが今日の自由への大いなる歩みの偉大なる原動力になったのです」

 ふたりの出会いから半世紀たつ。「いいなりにならない」勇気は今もなお新しい。

【天声人語】2005年10月28日(金曜日)付

 目の前に、さえぎるものは何もない。どこまでも太平洋が広がる。あの水平線の手前に巨大な滑走路ができるとしたら、この青い海は壊れてしまうだろう。

 沖縄県名護市の浜に立ち、「海上ヘリポート」の建設が想定されていた海域を見たのは、5年前だった。米軍の普天間飛行場の移転先の候補という海原の、きらめきと穏やかさが胸に残った。

 当時の海上案から変わり、浜と海とにまたがる「沿岸案」で、日米の政府が合意した。まるまる海に造る当初案と比べれば、壊される海域は小さいようだが、集落には近くなる。何より、あれだけ基地がひしめいている沖縄に大きな施設を新しく造ることに、時代を逆行するような違和感がある。

 「おねすとじょんだの/みさいるだのが/そこに寄って/宙に口を向けているのだ/極東に不安のつづいている限りを/そうしているのだ/とその飼い主は云うのだが」。沖縄出身の詩人・山之口貘が、米国の施政権下にあったころの沖縄をうたった「島」の一節だ。

 「島はそれでどこもかしこも/金網の塀で区切られているのだ」と続く。「人は鼻づらを金網にこすり(略)金網に沿うて行っては/金網に沿って帰るのだ」(『山之口貘全集』思潮社)。戦後60年になっても、島の金網は延々と続いている。

 名護の浜では、建設に反対する人たちが座り込みを続けてきた。93歳になるおばあさんが言ったという。「基地の建設が始まったら、海に座るさー」。米政府とは合意したが、日本の政府は、肝心の住民や自治体とは合意できるのだろうか。

【天声人語】2005年10月29日(土曜日)付

 最近の言葉から。人口217人と、離島を除いて日本一人口が少ない愛知県富山村で、最後の「村民運動会」があった。「村が一丸となって来られたのは、3世代がふれあう運\\動会があってこそ」と川上幸男村長。来月、隣村に編入される。

 運動会を復活させる会社もある。「昔に比べ横のつながりが弱い時代。昔の良い点は今の職場にも採り入れたい」と、24年ぶりに去年再開したホンダ鈴鹿製作所(三重県)の担当者。\

 首都圏の高校生や大学生が、会話やメールで各地の方言を使っている。「どこ行くべ?」「どこでもよかと?」は東京・渋谷駅前の女子高校生。「『それ、違うよ』とは言いにくいけど、『違うべ』なら冗談ぽい」

 「初めは怖かったけど、今はがばい(すごく)楽しい」と佐賀県の小学2年生、光富佑都君。東与賀町の干潟よか公園にある「フリーフォール型滑り台」で、約3メートルの高さをほぼ垂直に滑り降りた。安全に配慮しつつ、スリルのある遊具を採り入れる遊び場が出来ている。

 解散前の国会で郵政民営化法案に反対した参院自民党の造反組が、こぞって白旗をあげた。「国民のための法案になっていない」などと言っていた中曽根弘文元文相だが、賛成投票後には「自民党の中にいてやらなければならない大事な仕事がたくさんある」

 「万年Bクラス」といわれたプロ野球のロッテが、31年ぶりに日本一に輝いた。「最後の夢が実現した。17年間のプロ生活の集大成です……悔いなくバットをおける」と、初芝清選手、38歳。今季限りで引退する。

【天声人語】2005年10月30日(日曜日)付

 81歳の祝いを半寿と呼ぶ。半の字を分解すると八十一になるからだ。将棋界では、将棋盤のマス目の数にちなんで盤寿と呼ぶ。日本将棋連盟は来月、発足81年の節目を大阪市で祝う。

 棋界秋一番の話題は、プロ棋士とコンピューターの実戦が原則禁止とされたことだろう。公開の場で許可なく将棋ソフトと対局しないよう連盟が今月、所属の男女全棋士に通知した。違反すれば除名だという。

 将棋ソフトには30余年の歴史がある。早大生らが74年に開発した第1号はまったくの初心者級で、一手ごとに30分も長考した。年々改良され、今ではアマ六段相当の腕を持つ。おととし静岡県であった将棋祭りでは、ソフトが団体戦を制し、主催者を驚かせた。最近では北朝鮮や英国で作られたソフトが日本製に迫りつつある。

 コンピューター将棋に詳しい早大教授の滝沢武信さんは「詰めの局面ではもう人知を超えた。高段の数千人しか太刀打ちできないだろう」と話す。羽生善治四冠でさえ、対局後の詰みの確認にはソフトを使う。

 ただ弱点もはっきりしている。中盤で攻め急がず、わざと定跡を外して指し続けると、ソフトが焦り出す。切り合いなら強いのに、じらされると弱い。武蔵に敗れた小次郎タイプか。

 チェスも将棋も源流は、同じ古代インドの駒遊びと言われる。数千年かけて人類が磨いた技を、チェスではわずか50年でIBM製の人工知能が破ってしまった。将棋でも20年以内に名人が負けるという予測がある。囲碁やポーカーではなお人間が優位と聞くと、少しほっとする。

看过就得顶撒~好贴~