论坛首页  01区:院系风采  02区:学习生活  03区:生活品味  04区:休闲娱乐  05区:汇中茶馆  06区:网友相册  07区:校园关注  08区:公告建议
  活动区: 08级新生入学答疑区进行中...   汇中邀请专家为您的职业生涯答疑解惑
打印

天声人語

【天声人語】2005年09月11日(日曜日)付

 戦後が還暦になった今年は、折に触れて、昭和20年、1945年にあったことを振り返っている。9月の11日には、連合国軍総司令部(GHQ)が、東条英機元首相らの身柄拘束に動いた。最高司令官マッカーサーによる日本統治が、本格的に始まっていた。

 9月2日、マッカーサーは東京湾に浮かぶ米戦艦ミズーリで、日本の降伏文書の調印に立ち会った。艦上では、連合国や日本の代表を取り囲んで、水兵たちが鈴なりになっていた。その一角に、一枚の古びた大きな星条旗が掲げられていた。それは、幕末に来航して日本に開国を迫ったペリー提督の旗艦に翻っていたものだった。

 マッカーサーは、米国民に向けてこう述べたという。「きょうの私たちは九十二年前の同胞、ペリー提督に似た姿で東京に立っている」(『マッカーサー回想記』朝日新聞社)。日本にとって、敗戦による占領は、幕末に次ぐ「第2の開国」だった。

 それから60年、日本は占領下に定めた平和憲法を掲げつつ、軍備では世界有数の国となった。しかし今のところ、自衛隊は、一人の外国人も殺害していない。一方米国は、世界の各地で戦争を繰り返し、自、他国に、おびただしい数の墓碑を築いてきた。

 今の時代は、どの国も、外国との関係を重くみなければ立ちゆかない。一国への偏重ではなく、視野を広げ、とりわけアジアの一員として、尊敬の念をもって交われるようにしたい。

 総選挙が、戦後還暦の年に巡ってきた。この国の未来を選ぶことは、世界の中の日本のありようを選ぶことでもある。

【天声人語】2005年09月12日(月曜日)付

 冠省 小泉純一郎様。圧勝でしたね。一夜明けて、勝利の味はいかがですか。戦後の日本に保革二大政党の「55年体制」ができて、今年で半世紀ですね。今度の「05年体制」は、「小泉マジック体制」とか「小泉劇場体制」と呼ばれるようになるかも知れません。

 あなたは、郵政民営化の賛否を国民に問うと言って解散しました。しかしこの票の大雪崩は、郵政の民営化への賛成だけで起きたとは思えません。

 「殺されてもいい」「賛成か反対か」。こんな、あなたの「歯切れの良さ」や、目や耳にはっきりと届く一言・ワンフレーズが、人々を強く引きつけたと思います。尊敬しておられると聞くチャーチル元英首相の語録には「短い言葉は最高」というのがあるそうです。

 圧勝するさまを見ていて、「独」という字が思い浮かびました。独特な党首の独断による独(ひと)り勝ちでした。今後、国政が小泉自民党の独壇場になって、独走や独善にまで陥ることはないのでしょうか。圧倒的な多数を与えた有権者でも、それは望んでいないはずです。

 明治時代、口の悪さで知られた斎藤緑雨という文人がいました。「拍手喝采は人を愚にするの道なり。つとめて拍手せよ、つとめて喝采せよ、渠(かれ)おのづから倒れん」(『緑雨警語』冨山房)。

 タフなあなたのことです。いくら拍手喝采されても、倒れることはないのかもしれません。しかし、郵政以外に、待ったなしの課題は山ほどあります。勝利の勢いあまって、肝心の日本という国が倒れないように、くれぐれもお願い致します。 不尽

【天声人語】2005年09月13日(火曜日)付

 ダークスーツにネクタイ姿が目立つ自民党の幹部のそばで、襟元の開いた小泉首相の明るいシャツが浮き立って見える。大勝から一夜明けた昨日午後の記者会見では、総選挙の締めくくりに臨む主役の余裕のようなものが漂っていた。

 郵政民営化は長年「暴論」といわれていたが、いつかは必ず「正論」になると考えていた、と首相は会見で述べた。国民は、民営化法案を否決した国会の方が「暴論」だと判断したと。

 シェークスピアの「マクベス」の中の有名なせりふを思い出した。「きれいは汚い、汚いはきれい」(中野春夫訳)。世の中には、絶対的に良いものも悪いものもないと魔女が言う。

 「『今が最(いつ)ち悪い境遇ぢや』なぞとは容易に言へんものぢや」。こちらは「リア王」に出てくるせりふだ(坪内逍遥訳)。民主党が、小泉旋風に巻き込まれて民意をつかめなかったのはなぜなのか。それを突き詰めて出直さないと、「今が最も悪い境遇」どころではなく、さらに深く落ち込みかねない。

 劇といえば、比例東京ブロックでは「喜劇・棚ぼた」が演じられた。圧倒的に多くの票を得た自民党で名簿登載者が足らなくなり、1議席が社民党に転がり込んだ。「国会の質問王」と呼ばれた保坂展人氏が、一夜のうちに負けと勝ちを味わった。

 「世界はすべてお芝居だ。男と女、とりどりに、すべて役者にすぎぬのだ」(「お気に召すまま」阿部知二訳)。今年の暑い夏をいっそう暑くした「小泉・総選挙劇場」が、ひとまず幕を閉じた。残暑の列島に、厳しい日常が戻った。

【天声人語】2005年09月14日(水曜日)付

 漂流中に救われて米国で10年暮らした幕末の漁師ジョン万次郎は、帰国後、藩の子弟に英語で数をこう教えた。ワン、ツウ、テレイ、ソワポゥ、パッイワ。1から3はわかるが、4と5は現代人には理解しがたい(斎藤兆史『英語襲来と日本人』講談社)。

 英語の音を日本語に置き換えるのは難しい。同じ課題に終戦直後の出版界も直面した。米兵に何か売るにも、占領機関に職を求めるにも、とにかく通じる英語が欠かせない。次々に出版された英会話の手引書はどれも発音表記に工夫を凝らした。

 まっ先に出て人気を呼んだのが誠文堂新光社の『日米会話手帳』である。今から60年前の9月15日に売り出された。復員した編集者加藤美生氏が、英語に強い大学院生の力を借り、突貫作業で79の文例に発音を付した。\

 タマネギはオニオンでなくアニヤン、料理屋はレストランでなくリストウラン、「お掛けなさい」のTake your seatがテイキヨゥスィートである。限りなく原音に近いカタカナをという気迫が感じられる。

 3カ月余りで360万部が売れた。「出社すると、玄関前に空のリュックを抱えた書店主が大勢待ち構えててね」。ブームのさなかに生まれた長男美明氏(59)は、加藤氏から思い出話を聞いている。

 81年に黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』が出版されるまで、戦後ベストセラーの首位を保った。加藤氏は10年前に79歳で亡くなり、1冊が家族に残された。紙質が悪く、触れると指先からポロポロ崩れる。いまは書棚の隅で静かに眠っているそうだ。

【天声人語】2005年09月15日(木曜日)付

 古代の中国に、指南車という車があったという。歯車仕掛けで、初めに南を向けておくと、車上の人形の手が常に南を指し示して人を導いた。そこから、教え示すことを「指南」というようになったと辞書にはある。

 世の習い事は様々だが、あくびの師匠が登場するのが落語の「あくび指南」だ。にわかに弟子入りした男が、師匠の言う「四季のあくび」のうち、長い舟遊びの後に出るという「夏のあくび」の稽古(けいこ)をつけてもらう。

 何度やっても様にならない。弟子入りにつきあって来ていた別の男がしびれをきらす。「教えるやつも教えるやつだ、へッ、教わる野郎も教わる野郎じゃねえか」(『名人名演落語全集』立風書房)。

 東京の大手監査法人の公認会計士4人が、証券取引法違反の疑いで東京地検に逮捕された。カネボウの粉飾決算への共謀容疑で、見かけの決算を 実際よりもよくした際、「隠すなら、こうしないと隠せない」などと「指南」した疑いもあるという。事実なら、帳簿の番人であるはずの公認会計士が帳簿の粉飾の稽古をつけたことになる。教えた方も教えられた方も病んでいる。\

 近年、大手の監査法人の公認会計士らが、企業の不正経理に手を貸す事件が続いている。企業との密接な関係の中で帳簿の数字を扱うという仕事のありようが、罪の意識を薄れさせたのだろうか。

 これでは、どの会社にも欠かせない帳簿という社会への報告書の信用までが揺らぎかねない。「日本株式会社」を監視するはずの会計士や監査法人の「指南車」の向きが問われている。

【天声人語】2005年09月16日(金曜日)付

 樋口一葉の日記に、総選挙の投票日についての一節がある。「この日総撰挙投票当日なれは市中の景況いつ方も何となく色めきたる姿なりし」(『明治文学全集』筑摩書房)。

 当時は、女性に選挙権はなく、男性の限られた層しか投票ができない制限選挙だった。それでも文面からは、選挙という新しい仕組みが始まった明治中ごろの街と人々の様子がうかがえる。

 それから1世紀余りたった今、選挙権は成人した日本人に行き渡っている。しかし、外国に住む日本人には、国政選挙では比例区の投票しか認められていない。この「制限選挙」は不当だとする訴えを最高裁大法廷が認め、「公選法の規定は憲法違反だ」という判断を示した。

 これまでは、国政選挙のありかたについては、国会の裁量を幅広く認める判断が主流だったから、流れを大きく変える判決だ。国民の投票する権利を重くみて、不当な制限を長い間放置してきた国会の無責任さを指摘した。これに限らない、立法府の怠慢への、厳しい警告のようにもみえる。

 世界では、多くの先進国に在外選挙の制度がある。国立国会図書館によると、選挙資格で出国後の年数を問う国と問わない国とに分かれている。制限がないのは、アメリカ、フランス、イタリアなどだ。ドイツでは一般人の場合、出国後10年、カナダは5年まで資格がある(『在外選挙ハンドブック』ぎょうせい)。

 今回の判決で、最高裁は、1人当たり5千円の慰謝料を原告に支払うよう国に命じた。額は樋口一葉1枚だが、原告が手にしたものは重い。

【天声人語】2005年09月17日(土曜日)付

 南米のチリ沖に浮かぶ島の高台に、小さな記念碑がひっそりと立っている。「この島で四年四ケ月、完全に孤独のまま生きのびたスコットランド……ラルゴ出身の船乗り、アレクサンダー・セルカークを記念して」。「ロビンソン・クルーソー」のモデル、セルカークの足跡をたどっている探検家・高橋大輔さんの『ロビンソン・クルーソーを探して』(新潮社)の一節だ。

 約300年前にセルカークが漂着した島は、今ではロビンソン・クルーソー島と呼ばれているという。今年の初めに島で5度目の調査をした高橋さんらが、セルカークの作った小屋の痕跡を見つけたと発表した。出土品や地層の年代測定などで判断したという。

 99年刊の高橋さんの本には、こんなくだりもあった。「セルカークが実際に住んだ小屋、生活の痕跡……それらは歴史の中で 撹拌(かくはん)され、散り散りになり、核心へと近づくのはどうやら遅すぎたようだ」。執念が実ったということか。

 ルソーが教育小説『エミール』に書いている。「わたしたちにはどうしても書物が必要だというなら……自然教育のもっともよくできた概説を提供する一巻の書物が存在するのだ……アリストテレスか、プリニウスか、ビュフォンか。いや、ロビンソン・クルーソーだ」(岩波文庫・今野一雄訳)。

 難破、恐怖、希望、生存。幼いころに読めば、冒険の世界へといざなわれる。長じれば、人生の現実に重ねてクルーソーの生き方や言葉を味わうこともできる。

 今回見つかったという痕跡からは、どんな伝言が聞けるだろうか。

【天声人語】2005年09月18日(日曜日)付

 民主党の新代表に決まった前原誠司氏は、比叡山を東に仰ぐ京都市左京区で育った。卒業した市立修学院小学校のホームページを見ると、校歌は「み空に高き比叡の峰」を歌い、校舎から見た山影が紹介されている。\

 比叡山を織田信長が攻めたのは1571年旧暦9月中旬のことだ。僧兵の拠点、延暦寺を焼き払い、僧俗数千人を殺害したという。その比叡山を見て育ったであろう前原氏が最大野党の顔となったことに、信長好きの小泉首相は今どんな思いか。

 今年ほど首相が信長を頻繁に語ったことはなかった。郵政改革を桶狭間の合戦にたとえ、閣僚には「明智光秀になるな」と念を押した。「私は信長のように非情だと言われるが、戦国武将たちに比べれば自民党の権力闘争なんか生っちょろい」と演説した。信長への思いは学生以来らしいが、このごろは言外に自己陶酔もちらつく。

 最近の愛読書は『信長の棺』(日本経済新聞社)だ。「首相が解散を決めた一冊」などと大仰な宣伝がされているが、読んで著者の年齢に目がとまった。加藤廣氏75歳。これがデビュー作である。

 中小企業金融公庫や山一証券に勤務し、経営評論家として独立した。学生時代に作家を夢見たことはあったが、小説の筆をとったのは65歳からだ。

 信長が「余はこの国の無能者の掃除人になることに決めた」と語る場面がある。とりつかれたような変革志向に、加藤氏も首相との類似性を見る。政敵一掃を狙うかの観もある首相とどう渡り合うか、民主党を背負う新リーダー43歳の手腕が問われる。

【天声人語】2005年09月19日(月曜日)付

 米国ではこのところブッシュ大統領が新たに最高裁長官に指名したジョン・ロバーツ氏の話でもちきりだ。上院の過半数の承認が必要なので、連日議会で公聴会が開かれ、厳しい質問が浴びせられている。

 「患者が生命維持装置を外してくれと言ったとき、死ぬ権利は認められるか」「抽象論では答えられない。個々のケースが出る前に予断を与えたくない」。ロバーツ氏は大統領好みの保守派と言われるが、リベラル派にしっぽをつかまれないように、巧みに質問をかわす。

 野党幹部が「いつまでもそうやって答えを拒否し続ければいい」と悪態をつくほどだ。米国が熱くなるのも無理はない。最高裁が積極的に違憲審査権を行使する米国では、だれが裁判官になるかで政治の流れが変わるからだ。

 黒人と白人が別々の学校に行く隔離政策をやめさせたのも、女性に妊娠中絶 の権利を認めたのも、最高裁の判決だった。米国の政治学の教科書を開くと、最高裁の裁判官9人を思想的に左から右に順番に並べて解説してある。\

 かたや日本では、どれだけの人が最高裁の裁判官の名前や考え方を知っているだろうか。総選挙で裁判官の国民審査の用紙を手渡されて、とまどった人が多かったのではないか。政治に距離を置いてきた最高裁の姿勢が国民の関心を遠ざけてきた面もあるだろう。

 とはいえ、米国でも、保守派と思われていた人がリベラルな判決を連発し、任命した大統領が地団太を踏んだ例もある。そういう裁判官はレーダーに映らない軍用機をもじって「ステルス」といわれるそうだ

【天声人語】2005年09月20日(火曜日)付

 山路(やまみち)を登りながら考えた漱石は「兎角(とかく)に人の世は住みにくい」と「草枕」で書いた。「住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。こゝに詩人といふ天職が出来て、こゝに画家といふ使命が降(くだ)る」。芸術の誕生だ。

 東京で開かれていた「書はアートだ! 石川九楊の世界展」を最終日のきのう見た。「アートだ!」という言い方に軽みとユーモアを感じて行ったが、気鋭の書家の「書業55年・還暦記念展」の中身は重かった。

 福井県に生まれ、5歳で本格的に書を始めた。大学卒業後に会社勤めもしたが、書家として独立、実作の他、書や文字に関する評論も多く発表してきた。

 作品は、現代詩や自作の詩を書に表したり、「源氏物語」や「徒然草」を極細の線が延々と続く筆致でつづったりと、一つ一つの字は読み取れないものも多い。しかし細く震えるような線と線が重なり合って、新しい表現を生み出している。文字による絵のようであり、建築のようでもあった。

 次に東京の練馬区立美術館の「佐伯祐三展」(10月23日まで)へ向かった。パリの通りの壁に、広告の文字が所狭しと書き込まれた「ガス灯と広告」の前に立つ。

 石川さんは、「このような佐伯の文字への関心は尋常ではないように思われる」と書いている(『書と文字は面白い』新潮文庫)。この画風を書でいえば、草書をさらにくずした「狂草体」とする評もあるという。ひしめき合う文字の群れを見ながら、佐伯に「画家といふ使命が降」った時を思い浮かべた。